2020年3月5日

ちょっと重たい、個人的な気持ちを書きますね。ブログなので取り繕ってもしょうがないので。しんどい人は読まない方がいいかも。


この事態になると、普段はあんまり見えない「価値観の違い」ってやつが表面に浮き上がってきたりする。
価値観の違いなんてあって当たり前なのに、今まで知らなかったそれを実際に目の当たりにしてしまうと「ああ、そうなんだ。。。」みたいな感じになり、けっこう食らう。
価値観が同じだからと言って幸せになれるというわけでもないと思うのだが、価値観が違うとその先の選択が異なることが多いので、その結果一緒に何かをするのが難しくなるということなんだろう。
この話は「価値観が違うんですね、さようなら 」と言ってしまえば終わる話だ。でも今年の私は違う。価値観が違おうが何だろうが、あのバンドのことだけは絶対全部理解していたい。

私は最近、自分のことばかり考えていたな、と反省した。ちょっと何かが起きると、すぐ自分のつらい気持ちや悲しい気持ちだけでいっぱいになってしまう。この辺り、全く成長していない。
それで、バンド側のことを考えてみた。まあ、別に私は友達でも知り合いでもないので、想像でしかないのだが、それでも少しでも理解していたいから。

この状況の中での対応として、代替策は確かにある。必死にリスクが少なくてすむ代替策を考えて実行しているバンドは本当にすごいと思う。尊敬する。
だけど、それをどうしてもしたくないというバンドもいるだろう。
無観客で配信をするという方法でも収益化できたとしても、それはしないというバンドもいる。
それはなぜか。
配信では伝えることができないものを、一番大事にしているからだ。
曲も演奏もライブの雰囲気も、工夫すれば配信で伝わるだろう。
だけど、あなたが一番大事にしてきたのは、そこじゃない。そうですね。
そこにいる一人一人の目を見て歌うことなんですよね。
そうしないと伝わらない、意味がない、そう思ってやってきたんですよね。たぶんこれまでずっと。
それに自分の全てをかけて、毎日を積み重ねてきたんですよね。そういうライブをすることで、これまで生きてこれたんですよね。
たぶん、そこには、「こだわり」なんて言葉では片付けられないほどの、私の想像の何十倍もの濃度と密度の思いがあって、私が理解しきれないほど大きな意味があるんだと思う。

その一番大事にしていることが、急に、できない状況になってしまった。それは、私の想像する何十倍もつらいことだろう。

「みんなつらいんだよ」と、私は絶対に言いたくない。みんなのつらさと、あなたのつらさは関係ない。あなたのつらさは、他の何とも比べることができない。

ひとくちに「音楽が好き」とか「音楽をやってる」と言っても、いろんな種類があるものだ。趣味のひとつだという人もいれば、音楽しかないという人もいる。どちらがどうというわけではないが、音楽しかない人にとって音楽を奪われることがどれだけ切実かというのは、私もわりと音楽しかない側なので、分かる。

こんな状況でも、何の力もない私には、何にもすることができない。
ただ、事態がおさまるまで、なんとかしのいでくれと祈ることしかできない。
別に私のことなんか救おうとしなくていいし、待っててくれなくてもいい。
行けるときになったら、勝手に行く。あなたの目が見えるところまで、勝手に行く。
それまでなんとか生きててほしい。あなたが生きてて欲しい。