2020年1月24日

名古屋にライブを見に行った。

私は遠征ってあんまり好きじゃない。知らない土地に行くと心細くなってしまう。でも名古屋には実はこれまでに何回か行ったことがあるので、少し街に慣れている。前に名古屋に行ったときは、いい感じの喫茶店やカフェを調べて行ってみたりしたのだが、今回はなんかやたらそわそわしてしまい、食欲も全くなかったので、タワレコに行ってCDを1枚買った後は、スタバで飲み物だけ頼んで時間をつぶして、ホテルにチェックインして前日ほとんど眠れなかったので少し仮眠した。

ライブは目当てのバンド以外の2つのバンドも前から気になっていたバンドで、初めてライブを見ることができたのだが、2つとも想像以上に素晴らしく胸を打たれた。音楽が好きでよかったなあって思った。

そして好きなバンドのライブを見た。(好き過ぎて、バンド名を書くことができない。なんか自分が気持ち悪く思えるくらい好きなので)
私は他のバンドのライブを見るときとは、全く違う姿勢、態度でライブを見ていた。この感じをまだうまく言葉にできないのだが、全部とりこぼすことなく私の中に入れたい、何もかも全部拾いたいという気持ちというかなんというか。このバンドが伝えようとしていることは、1mmの誤差なく分かりたい。人と人は絶対に分かりあえないんだけど、このバンドのことだけはどんな手を使ってでも分かりたい、そんな気持ちで見ていた。一瞬も見逃したくないし、まばたきもしたくない。何もかも払いのけて掻き分けて、その光の中心に辿りつきたいし、絶対にこの光を絶やしたくない。そう思った。

あと、この人は音楽に生かされているんだなと思った瞬間が何度もあった。それを見て、私も自分に何もないことに恥ずかしくなったり絶望したりするけど、もう音楽にすがって生きていけばいいのかも、と思った。だってそれしかできないし、音楽に触れているときは元気になるし顔色も良くなるし。リアルで言うところの「お前にこの一生を捧げよう」って感じ、バトルクライで言うところの「傷つきながらしがみついて離せないそれだけのもの」って感じ。それにこの日やっと気づいた。

それでなんだかとてもさっぱりした気分になって、翌日は早朝に帰った。まだ薄暗い朝の空気って私は好きだ。冷たい風が気持ちいい。でも電車が駅に着いたとき、なんだか寂しくなった。寂しいってなんだろうって最近よく考える。寂しいには理由があんまりない気がする。悲しみとか怒りには理由があるけど、寂しさにはあんまりない。だから寂しさは突然やってきて、重力を奪っていく。わけもなく、気持ちがふらふらする。