sleepy.ab が創造する「もうひとつの世界」 - 配信ライブによって深化した「 1人になれる音楽」-

2020年9月19日、sleepy.ab による生配信ライブ「fractal on Line @ 札幌芸森スタジオ」が行われた。

sleepy.ab は今年の1月に、7年ぶりとなる新作アルバム『fractal』をリリースしたが、これに伴うツアーは新型コロナウイルス感染拡大防止の為、全て延期になっていた。今回の生配信ライブは、この『fractal』の楽曲をライブで届けるべく、sleepy.ab がレコーディングで使用している札幌芸森スタジオから発信されることになった。

sleepy.ab は、これまでもプラネタリウムや教会など、ライブハウス以外の場所でたびたびライブを行ってきた。
成山(vo & g)はよく「1人になれる音楽をつくりたい」と言っているが、その言葉通り sleepy.ab は楽曲でもライブでも必ず「1人になれる空間」を創りあげ、リスナーは sleepy.ab が創りだす空間に入り込むと同時に自己の内的世界にも入っていくという体験をしてきた。家で 1人で曲を聴く時だけでなく、不特定多数の人が集まるライブという場においても 1人になれる空間づくりを追求する sleepy.ab にとって、プラネタリウムや教会はとても適した場所だったのだと思う。そして、今回の札幌芸森スタジオも、物語の中に登場しそうな雰囲気のある建物で、sleepy.ab の求める空間づくりと相性が良さそうな場所である。また、配信ライブというのも、これ以上ないくらい「1人になれる空間」で音楽に向き合うことができる形態だ。そのためか、今回のライブは、sleepy.ab がこれまで追求してきた世界をさらに深化させるものとなった。

21時という少し遅い時間にライブは始まった。
暗闇にオレンジの灯りと壁を照らす青い光と機材の光が浮かびあがる。
アルバム『fractal』の 1曲目、インスト曲の『decode』が奏でられ、柔らかな音がゆっくりと広がっていく。
2曲目『cactus』で辺りが明るくなると、高い天井と木の柱が目に入り、札幌芸森スタジオの内部の全貌が分かってくる。音がよく響きそうな、神秘的で、かつ温もりのある空間だ。

ここまでの2曲は、いわば物語の導入部分のようで、絵本を開いた私たちはゆっくりと『fractal』という世界に誘い込まれ、その中を歩き回ったり探検を始めたりしていた。

続く『ideology』は、sleepy.ab のこれまでの曲とは少し違う一面が見える曲だ。sleepy.ab の音楽はシューゲイザーを取り込んだ緻密で繊細な音像が魅力だが、耳馴染みの良いメロディーや柔らかく甘美な質感によってポップにも聴こえる。だが、この『ideology』という曲では、そのポップな面を一度引き下げ、より深い場所へ潜っていこうとしているように聴こえた。この日のライブでも、『ideology』が始まると、暗闇の中を手探りで進むような不安定さを感じさせるサウンドやエフェクトがかかったボーカルによって、深海に向かっていくような、より内的世界に入り込んでいくような感覚に陥った。

こうして一気に深くまで sleepy.ab の世界に引き込まれたところで、『planette』の壮大なイントロが鳴り、視界が開けていく。そして、その浮遊する音の中をゆらゆらとさまよっていると、意味も理由もなくさまようのが本来の生物の姿だと言われているような気分になる。特に、間奏とアウトロで各楽器が無軌道に暴走する場面では、その前触れもなく秩序が壊れていく様に、人の意志や力ではどうすることもできない自然や宇宙といったものの存在を感じさせられた。

成山の「家だから寝てもいいですよ」というMCを挟んで、インスト曲『cryptograph』に突入すると、また一歩、物語世界の奥の方へ進んだかのように場面が変わる。まるで深海の中に建てられた城の中にいるようだ。

そんななか、始まったのは『息継ぎ』。
鍵盤の音と柔らかい声が響き、海の底に光が射し込んでくる。

<無意識の中で すれ違っている/見たことのない あの街で生きている>
<眼に映るもの それが全てでも/息を継ぐために また僕は歩き出す>
<何も見えなくても/また君は歩き出す>
<指に触れるもの それが全てでも/癒えたことのない 傷をまた探し出す>

この『息継ぎ』という曲は、sleepy.ab というバンドの核となる部分が見える曲だと思う。
この曲の中に出てくる「無意識の中」というのは、眠りの世界や夢の世界と考えることができるだろう。現実ではない、もうひとつの世界だ。物語の世界や、sleepy.ab のライブも、現実とは別の「もうひとつの世界」「無意識の中」と言えるだろう。
これに対して、「眼に映るもの」「指に触れるもの」というのは、現実の世界で出会ったり体験したりするもののことだ。そして、sleepy.ab は「それが全て」、現実の世界が全てだと言う。確かに、夢で見たことを現実の世界には持ち込めないし、夢や物語の中で何が起きてもそれは現実には繋がらない。
だが、それは逆に考えてみれば、現実でどんなにひどいことが起きようとも、「もうひとつの世界」にはそれを持ち込まなくていい、というこことでもある。特に「眠る」というのは不思議な行為で、生理現象であると同時に、人は眠ることで一旦現実から距離を置くことができる。

sleepy.ab の歌詞は抽象的なものが多く、現実がどんな風につらいかということについて詳細に歌われているわけではないが、現実で息をするのもつらい、そういう気持ちを深いところまで知っているんだなあと、曲を聴いているとふとした瞬間にぴりっと感じることがある。sleepy.ab はそのつらさを知っているからこそ、現実から距離を置くことができる眠りや物語の世界を創り出して、その中を漂い、リハビリのように息をしたり歩いてみたりしているのだろう。
そして、sleepy.ab の音楽を聴くと、私たちもそれを体感することができる。それから、sleepy.ab の世界の中で体感した、「息をしたり歩いてみたり」したことの感触だけは、現実の世界に持ち帰ることができる。現実の世界でどうしようもなくなったとき、一旦現実から離れ、別の世界で息をしてみる、そして、その息継ぎの仕方を現実に持ち帰る。そうすることで、<眼に映るもの それが全てでも/息を継ぐために また僕は歩き出す>、現実が全てだとしても、もうひとつの世界から持ち帰った何らかの感触によって、人はまた歩き出すことができる。
こうした世界の構築とリスナーへの作用は、sleepy.ab がこれまでもずっと音楽の中で試みてきたことだったわけだが、『息継ぎ』はその集大成のような曲だと思った。

続く『アルファ』では、山内(g)のギターがオルガンのような音を奏で、厳かな世界が広がっていく。途中でドラムが入ると華やかさが増していき、祝祭空間のようにも感じられた。その後の『fog』では、成山の歌にも力強さが加わっていき、ライブはどんどん盛り上がりを見せていく。

そして『hours』で、ライブはひとつのピークを迎える。息を呑むような美しさが辺りに満ちていき、全てを包んでいく。『hours』のアウトロから次曲の『promise』にかけては、何かが壊れながら分裂を繰り返し多面体が出来上がっていく、アルバムタイトルの『fractal』という言葉を体現したかような、美しい光景が見えた。

本編ラストは、アルバムの最後の曲でもある『ホログラム』。揺らめいて掴めないまま消えていく光のような、繊細で幻想的な音に包まれ、物語『fractal』は終わっていった。

アンコールは、2008年にリリースされた『archive』に収録されている『ねむろ』だった。「眠ろ」と「根室」をかけた、これもまた sleepy.ab の核と言える曲だ。<朝が来るまで目覚めないように> というフレーズに、このままライブが終わらなければいいのに、この「もうひとつの世界」がずっと続けばいいのに、と思ってしまったが、静かに繊細に鳴る山内のギターの音に全てが溶けていった後で、成山が「ありがとうございました。おやすみなさい。」と言って、配信は終了した。

今年になって「家で 1人で音楽を楽しむ」ことが急に推奨されるようになったが、そもそも音楽は 1人で聴くものだと思っていた人はたくさんいると思う。また、音楽を作っている人の中にも、sleepy.ab のように、「1人になれる空間」を以前から創り出そうとしてきた人はたくさんいるのではないかと思う。sleepy.ab はその中でも特に、現実とは別の「もうひとつの世界」を徹底的に創ろうとしてきたバンドであり、そのために楽曲でもライブでも、常に新しい音を追求し、繊細に丁寧に音や言葉を重ねてきたバンドだ。そして、そういった積み重ねの末に出来上がった音楽や演奏は、今年のような状況によって潰されるようなものではなかったし、むしろ「家で 1人で音楽を聴く」というシチュエーションにおいて、より強大な威力を発することが、この配信ライブを通して証明されたように思う。この配信ライブによって、『fractal』という物語により深く入り込み、息継ぎをする感触を得ることができたのは、私だけではないはずだ。

最後に、もうひとつだけ言及しておきたいのは、この配信ライブが、sleepy.ab がずっと活動の拠点にしてきた北海道から発信されたということだ。sleepy.ab の楽曲にはどこか北海道の寒さや空気が含まれているように感じるが、そんな楽曲たちを、札幌芸森スタジオという彼らの馴染み深い場所から届けたことは、今後ほかのバンドにとってもロールモデルのようになっていくかもしれないと思った。また、札幌芸森スタジオは雰囲気が良いだけではなく、普段はレコーディングに使用されていることもあって、音が素晴らしく良かった。その音を聴いて、バンドにとって、自分たちの音をつくりやすい場所やリラックスできる場所から発信できるということも、最大限に力を発揮する上で重要なことなのだと実感した。自分の住んでいる地域の特性を活かしたり、リラックスできる場所から発信したり、ライブハウス以外の場所の可能性を模索したり、コロナ禍以降のライブや音楽活動といったものを考える上でも、いくつもの希望を感じることができた配信ライブだった。

※ この文章は 2020年9月29日に「音楽文」に掲載された文章を加筆・修正したものです。


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