PaperBagLunchbox の新曲をもう聴くことができないのが悲しい。PaperBagLunchbox のライブをもう見ることができないのが悲しい。
どういう経緯で解散に至ったのかは知らない。推測することはできるが、それはあくまで推測の範囲だ。だからどうするのが良かったのかなんてことはもちろん分からない。私はファンとしてしかメンバーと話したことはないけれど、4人のことをとても好きだった。音楽の話をしてくれたり、丁寧に「いつもありがとうございます」と言ってくれたり、熱のこもった握手をしてくれたりした。だから4人が決めたことなら受け入れたい。でも決めざるを得なかったのだとしたらそんなの嫌だといつまでも言い続けたい。
それから、「でへへ、やっぱりまた4人でやるよ、嘘ついてたよ、げへへ」と言われても怒らないから、やりたくなったらやってほしい。覆面バンドでいいから。
と書いていて、とても虚しくなってきた。そんなことはやっぱり多分まあ起こらないだろうと分かっている。
空白の4年だか5年だかと呼ばれた期間にも、音源を出していないだけでこのバンドはライブをやっていた。それを定期的に見ていたとき、私はそれだけでも幸せだった。そりゃ音源を出す日を楽しみにもしていた。早く音源で聴きたいなと思った。でもそれは裏を返せば、その時だってそう思わせるぐらい素敵なライブだったってことだ。対バンも豪華だった。
このバンドのことを大好きな人が、「(音源)出す出すって言ってなかなか出さないんだよね」と言っていたことがあったけど、その言い方が「こいつらほんとにまったくねえ」といった感じのとても愛のある言い方で、私たちはそんな風に、ライブを見るたびに「やっぱすごいバンドだよなあ」と思い、音源が出る日を心待ちにしていた。
そして念願の音源が出た。それから解散した。やりきれない。
私はあの4人がステージに立っている姿がとても好きだった。まず佇まいがかっこよかったし、それだけじゃなくて、どうしようもない気持ちを掴み出してくれるような、独特のファンタジーの世界があった。それでいて時に情けなくて、時にどこまでも洗練されていて、洗練されているが故の都会的な寂しさと立ち回りがあり、且つ美しい花畑とどこまでも続く荒野が、ときどき見えた。それは当たり前だけど、PaperBagLunchBox のライブでしか見ることはできなかった。他に似ているバンドはひとつもない。
そんな風に、私はこのバンドにたくさんの景色を見せてもらってたくさんの、なんか、なんだ、贈り物をもらってきた気分だ。だけど私のこの感謝の気持ちは、きっと1/3もメンバーに伝わることはないだろう。それどころか、こういうことを blog に書くことで、大好きな4人を傷つけることにならないか、それだけが今は心配だ。
重要なのは生き残ることだ。バンドはそれからでもできる。だから大好きな4人に生き残ってほしい。4人がピースした姿は今でも私の宝物です。