「逆光」People In The Box

 People In The Boxの「逆光」という曲は、異常に美しい。美しいが、近寄りがたいアートではなく、キャッチーでもある。思い返してみれば、いつも People In The Box の曲は、崇高なアートになりそうなところのギリギリでそうはならなかった。どこかでひらりとかわして、何度も聴きたくなるような側面を備えた曲に必ずなっていた。これは、People In The Box が常に「ポップミュージックをつくる」ということに意識的だったからではないかと考える。しかし、ひとくちに「ポップミュージック」と言っても様々な形態や種類があり、People In The Box の歴史の中でも変遷があったように思う。

 初期の People In The Box の楽曲では、1曲に非常に多くの情報が詰め込まれていた。それぞれの楽器の情報量は「3ピースとは思えない」というお決まりの枕詞から想像する範囲を越えていたし、歌詞においてもポエトリーディングのような体裁で大量の言葉が詰め込まれることもあった。しかし、その情報量によって難解で重苦しくならないように、高度な演奏と卓越したセンスと持ち前のユーモアさを駆使して、ポップミュージックとして成形していた。その楽曲のあり方は、ある面から見れば「残響レコード的」とも言えるし、ある面から見れば「20代的」と言うこともできるだろう。攻撃性や、持ちうる力と見解の全てを注ぎ込もうとする姿勢は、複雑ゆえに快楽性の高いポップミュージックを作ることを成功させた。

 People In The Box が、このような初期の楽曲とは種類の異なるポップミュージックを作るようになったのは、震災以後だ。作品で言うと「Lovely Taboos」からである。震災以後の作品は、一聴すると情報量は減り、穏やかになったように聴こえる。しかし、それは、言葉やフレーズやリズムやBPMといった一つ一つの要素を非常に注意深く選ぶことによって、美しい水面を描いているからそう聴こえるだけである。その水面下には深い未知の世界があり、聴いた人がどこまでも潜っていくことができるように作られている。初期の、聴いて即喜怒哀楽を得られる音楽とはまた別の、潜った者だけが様々な感情に触れることができる音楽である。なかでも「潜水」(Album「Weather Report」収録)は、シンプルさと深みを極めているポップミュージックだと感じた。その美しさやスルっと聴くことができる感触は、あえて例えるならば Prefab Sprout のようなポップさだと思った。

 そして先日リリースされた「Talky Organs」に収録されている「逆光」は、People In The Box が震災以降作り続けてきたポップミュージックの結晶のような曲だと思った。なんて研ぎすまされていて、なんて純度が高いのだろう。

 サビのメロディーの息を呑む美しさ。実際に眼前を照射されているような目映さ。その美しさと目映さは、ある時は聴いた人を圧倒し、ある時は聴いた人の視線の向いた先に光を激しく浴びせる。

最初はその光の目映さに圧倒される。だが、次第に、People In The Box はこの曲の中で、様々な方向から光を当てていること、また、それだけでなく、その光源にレンズを向けてみせていることが分かる。逆光を利用して写真を撮影すると、被写体は暗くなり、シルエットが強調されるが、People In The Boxもそういった効果を見据えているのだろうか。実際、この曲を聴いていると、いくつものシルエットが次々に現れる。

 たとえば、サビの「20世紀」は日本語で歌われ、「21st」は英語で歌われる。それは、20世紀は国内で視線を浴びせ合っていたのが、21世紀では世界から視線を浴びせられることを表しているように感じた。グローバル化が進むにつれ、居心地の良かった闇にさえ、光を当てられてしまい、馬車は空白の万博に集結する。以前、People In The Boxは「ニムロッド」という曲で、「飛行船は空白を目指す」と歌っていた。「空白」とは、実態のない何かであり、「逆光」で「残された欲望は人のではない」と歌われているような、システムの中で肥大化する欲望のことなのだろう。その「空白」(虚無的な欲望)を目指すものが、飛行船から馬車へと代わっている。馬車の方が、なんというか、飛行船に比べて前近代的であり、ドタドタしていて、野性的だ。現代のシステムの中で膨張し続ける実態のない欲望に向かって集結するのは、前近代的で野生の塊のような思考だということなのだろうか。

 あるいは、20世紀から21世紀に向けて光を当てたり、21世紀から20世紀に向けて光を当てたりしてみているようにも聴こえる。時間軸のどの時点から光を当てるか、空間軸のどの場所から光を当てるかによって、歴史や現在はその姿を変えるし、生じる盲点も違うことに気づく。

 今や、People In The Box の曲は、だまし絵のようだ。そこに答えはない。見る人の視線次第で姿は変わる。人が一個人として、野生を持った一匹の動物として、自分の視点から「見る」ことの重要性を、People In The Box は体現している。「見られる」ことに意識的になりすぎている時代に、自らが「見る」立場になり、自分の場所から徹底して見ることが、システムに振り回されず、光の主導権を取り戻せる方法なのだと気づかせてくれる。

 この曲の最後で、People In The Box は「眩しすぎてなにも見えない」と歌う。渦中にいるとき、人の視線ばかりが気になって、自分が光の先を見ることを、人は怠ってしまう。光の中に飛び込むときには「獣の瞳で照射せよ」と唱えてからにした方が、きっといい。

Talky Organs

Talky Organs