美ちなる方へ

つまんね

つまんね


もうこれ大好きです。

「天使じゃ地上じゃちっそく死」の、落ちてくるギターリフが最高です。「美ちなる方へ」の歌詞が大好きです。<なるべく楽しいフリをするさ誰だって>っていいなあ。<君には見せたい素顔があると思います>っていうのもいいなあ。「笛吹き花ちゃん」の<悪酔いしながら飛んでいくよ/春夏秋冬 週4バイト>というフレーズは、アルコールが喉に流れてくるように甘美です。インスト曲の「夜空の虫とどこまでも」というタイトルは「夜空の虫とどこまでも」しかありえないなあって今日思いました。「いかれたNeet」の、の子の叫び声が大好きです。そして「さわやかな朝」は、なんかもうすべてが最高です。

色々な所で「シューゲイザー」と形容されているのも、なんとなく頷けます。きらきらと上品に光の粒が降ってきて、宇宙に触れそうな気分になるからです。の子は別に願ったり祈ったりしてるわけではなく、ただ自分のことを歌っているだけのような気がするけど、その歌が結果的に、聴いている人の祈りになるのはちょっと不思議です。

神聖かまってちゃんの曲は、基本的に全部、自己完結しているなあと思います。だけど、この「つまんね」というアルバムの中で、一箇所だけ今までと違うところを見つけました。「さわやかな朝」の<そういう事にしそうなのです>、ここだけは自己完結していません。まだ、<そういう事にした>にはなっていないのです。の子が<そういう事にする>前に、まだ他人が介入する余地があります。まだ、の子と関わることができる、私はそう思いました。

同じような朝がまたやってくることは幸せなことなのか、それとも気が狂うことなのか。答えは今日も朝の光にごまかされました。でも、もともと晴れた朝にやることなんて、モールス信号ぐらいしかないのです。