崎山蒼志という希望 -『嘘じゃない』に寄せて -

<嘘じゃない>

淡々と、しかし、濁流の川の中、己の足でしっかりと立ち続けているような決意と強さを持って、崎山蒼志がそう歌っている。
何が正解かも分からないし正解なんてどこにもないのかもしれない状況で、何が真実かも分からないし真実なんて永久に藪の中なのかもしれない状況で、崎山蒼志は、とにかくそれが「嘘」ではないこと、「フェイク」ではないのだということを、おそらくは己に向かって歌っている。

正解でも真実でもないけれど、少なくともこれは「嘘じゃない」。
崎山蒼志は、そういうことを積み上げていこうとしているのだと思う。
そのために、彼はこれまで自分の中に積み上げられてきた「嘘じゃない」ものをじっと見つめている。

<息をして触れてきた優しさが
 いつの日か 蓄えた優しさになる>

<誰かが伝う 意味のない と
 捨てられた 悲しみに
 湛えられた炎を見ろよ>

<歪みある世界に立っている
 心崩れ落ちる音 
 溢さぬよう 何度も作ったダムも忘れはしないよ>

これまで「触れてきた優しさ」や、感じた「悲しみ」は、決して「嘘じゃない」。
そして、そうやって自分の中で慎重に精査された「嘘じゃない」ものが、時間の経過とともに積み上げられていけば、それらはやがて「蓄えた優しさ」や「湛えられた炎」として確かに存在するようになる。この曲で描かれているのはそのような世界観であり、それが最も象徴的に表れているのが、最後に挙げたフレーズの中にある「何度も作ったダム」なのだと思う。

「ダム」というのは、川の流れを堰き止め、水を貯めるためのものだ。
つまり、崎山蒼志は、「嘘じゃない」ものを積み上げ、蓄え、湛えることで、日々もの凄い勢いで流れてくる玉石混交の情報やそれに反応して秒速で変わっていく人々の感情やその他様々なものに押し流されないように、堰き止めようとしているのだと思う。

しかし、慎重に作ったそのダムも、時には濁流の勢いに耐えることができず、壊れてしまうこともあるだろう。だが、それでも彼は、「何度も」ダムを作り続ける。

なぜ、そんなことができるのだろうか。
それは、彼が音楽を信じているからであり、音楽に生きることを選んだからであり、また、音楽に選ばれたからであろう。
崎山蒼志は、私などが言うまでもなく、天才だ。
魂の揺れを音楽に変換することができる、天才だ。
少し震えているように聴こえるその声も、過不足のないリリックも、自在に操るリズムも、掻き鳴らすギターの瑞々しい音も、そのどれもが音楽に選ばれたとしか思えない。

音楽に選ばれたことを受け入れ、自らも音楽を選び、決意を固めた崎山蒼志は、何度壊されようと音楽によってダムを作ろうとするし、音楽によって <笑顔を突き立てよう> とする。
この「笑顔」と「突き立て」るという言葉の組み合わせはこれまでに見たことがない斬新なものだが、この曲の中でこのフレーズが現れると、「笑顔を突き立てる」というイメージが確かに浮かび上がってくる。
ここで歌われる「笑顔」とは、おそらく、愛想を振りまいたり、人に嫌われないためにつくる「笑顔」ではなく、何度ダムを壊されても挫けないように、自分のために「突き立てる」「笑顔」であり、自分を守るための「笑顔」なのだということが浮かび上がってくるのだ。それゆえ、このフレーズを聴くと、不敵な勇者が味方してくれているかのような心強さを得ることができる。

そして、この <笑顔を突き立てよう> というBメロの最後のフレーズによって心強さを与えられた後、サビに入る瞬間にエレキギターの音が鳴り響くと、私たちはさらに音楽によって守られていることを実感する。その一瞬のギターの音は、まるで私たちを外界から守る結界を瞬時に張るかのごとく響くのだ。

それから、その守られた空間の中で、崎山蒼志は、こう歌う。

<これからの未来は
 何処にでも
 繋がれる気がしてるの
 悪夢の根源に
 居た君を いつか必ず
 救い出すから>

このサビを聴くと、涙が出てくる。
音楽だけがもたらすことができる希望に溢れているからだ。
たとえ、現実には「これからの未来は何処にでも繋がれ」なくても、音楽は「繋がれる気がしてる」という状態の気分にまで、人を持っていくことができる。
それはつまり、音の振動によって、一瞬にして人を取り巻く空気を変えるということだ。
そして、その「一瞬にして空気を変える」ことを可能にすることこそが、音楽のとてつもない力だ。
崎山蒼志は、そういう音楽の力を信じている。それがビリビリと伝わってきた。
それから、音楽だからこそ、いや、音楽でなければ、本当に助けを必要としている「悪夢の根源」にいる人の心の中には入ってはいけないのだという、音楽の持つ唯一無二の特性と魔力を理解していること、また、それを扱う者としての覚悟を持っていることも伝わってくる。


この曲の中で粛々と行われている、慎重に「嘘じゃない」を積み重ねるということは、白か黒か、正解か間違いかといった分かりやすい結論や極論に比べて、なんて地味なことだろう。一夜にして共感を集めたり、バズったりするようなこともないだろう。ダムを作ることは、目立たなくて、根気がいることなのだ。
だが、そんな根気のいることに崎山蒼志が挑んでいるということこそが、希望だ。
その姿は、私たちが何かに流されてしまいそうになるとき、分かりやすい正解に飛びついてしまいそうになるとき、それを食い止めるきっかけになり得るだろう。

それから、私たちは、この曲の力強さや、この曲によって引き起こされるエモーションを、己の為にのみ使わなければならないのだと強く思わされる。それらは、自分の中に慎重に「嘘じゃない」を積み上げるために使うべきなのであって、間違っても、自分の外にあるものを扇動したりすることに用いてはならない、と思う。それは濁流を堰き止めるどころか、その流れを加速させることに加担してしまうからだ。


<でもこの振動は
 私を確かに 呼んでる
 嘘じゃない
 嘘じゃない>

音楽は今日も、空気を震わせて私の身体まで届く。
そして、音楽に変換された魂の揺れは、私の心を揺らす。
ライブに行けなくても、どこにいようとも、音楽は今も「私を確かに 呼んでる」。
それは私にとっても、「嘘じゃない」ことのひとつだ。

この曲を聴いてから、誰かが「嘘じゃない」を積み上げた末に完成させた音楽は、「悪夢の根源にいる」私たちを絶対に見捨てることはないのだと、また音楽を信じることができるようになった。
音楽は必ず、私たちを取り囲む空気を変えてくれるし、私たちを守ってくれるだろう。
そして、「悪夢の根源」にいても、濁流の中にいても、崎山蒼志が曲をつくり続ける限り、希望もまた生まれ続けるだろう。今はそう信じることができる。

嘘じゃない。


※ この文章は 2021年9月1日に「音楽文」に掲載された文章を加筆・修正したものです。


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