またうねり始める、DOESという生き物 - 復活ライブ『(R)evolution #0.5』-

DOESが再始動する。
その知らせが届いたのは、2020年の元旦だった。
4月から本格始動し、東京と上海でライブを開催するという。

しかし、その知らせの翌月、新型コロナウイルスの感染が拡大した。当然の如く、東京公演は中止に、上海公演は延期となった。なんというタイミングだろう。まさに「出鼻をくじかれた」という感じだった。

それから1年、ついに2021年4月1日に無観客収録配信ライブ『(R)evolution #0.5』が配信されることになった。本来であれば 1年前の4月に開催されるはずだった東京公演『(R)evolution #0』を土台とし構築されたものだという。これは本来の復活ライブではない、しかし、ここから何かが始まっていく。そんな予感が漂う。


2021年4月1日20時。

配信ライブの1曲目、イントロのギターが鳴る。思わず声が出そうになった。
『明日は来るのか』、DOESのデビューシングルだ。
白い Gibson SG をハイポジションに構える氏原ワタル(Vo, Gt)と、対照的にベースを低い位置で弾く赤塚ヤスシ(Ba, Cho)、その中央でスティックを振り下ろす森田ケーサク(Dr, Cho)。そんな三人の佇まいと、気怠さの中から徐々に熱が生まれていく様を見て、「ああ、DOESだ」と思った。DOESが本当に帰ってきたのだ。
氏原ワタルが歌う <やれやれやれやれやれ> に続いて赤塚ヤスシが <やれ!> と叫んだ瞬間、一気に視界が開ける。

続く『KNOW KNOW KNOW』では、

<ブランニューデイの始まりには/祝福の叫びを上げよう>
<好きなことばかりするのさ/ずっとこのままこの場所で>

という、まるでこの日のためにあったかのようなフレーズと、三人の絶妙な音のバランスに胸が躍り、ドラムソロから『サブタレニアン・ベイビー・ブルース』に入ると、ベースとドラムに歌が乗るミニマムな構成のAメロに、DOESの思いきりのよさや潔さから生まれるかっこよさを、じんわりと思い出していく。

そうかと思えば、ギターの音が鋭くなって、『ジャック・ナイフ』が始まる。
BPMが上がり、ドラムの音は降りしきる雨のようなクールさと爽やかさで背景を作っていき、そこに乗る氏原ワタルの声は雨に濡れたように艶を帯びていく。最後スパッと切れるように終わるところも、DOESならではのかっこよさだ。

氏原ワタルがギターをフェンダーに持ち替えて演奏された『僕たちの季節』『トーチ・ライター』では、そのギターの鳴りの素晴らしさも相まって、ブルージーな世界に魅了させられていく。

そして、そこに続いたのが『三月』だ。
桜の咲く、今の季節特有のなんとも言えない気分が一気に押し寄せてくる。坂道を転がるような不可逆性を体現するドラムとベース、憂いを帯びたギターの音、氏原ワタルの声の樹木のようなしなやかな強さ、この季節の心象風景を <三月のしらけた道> と表現したこと、それらが一気に押し寄せてきて、やはりこの曲は月日が流れても色褪せない、日本語ロックの名曲だと再確認させられた。

ギターを再び Gibson SG に持ち替えた氏原ワタルが言う。
「こんな状況でみんな大変だけど、こんな状況だからこそいつも心に道楽を」
そこから立て続けに、最新シングルから『道楽心情』『ブレイクダウン』『斬り結び』が演奏された。

『道楽心情』では、色とりどりの照明が焚かれ、高揚感が増していく。
そんな中で、<パーティーは盛大> や <粋な粋なバカ騒ぎ> といったフレーズを押しのけて、一番鮮やかに飛び込んできたのは <へえそうなんだ> という歌詞だった。この平熱と肩の力が抜けたスタンスこそがDOESというバンドの魅力なのだということを、身体が思い出していく。

また、『ブレイクダウン』では <遊ぶ事しか知らないような 愚か者らに幸あれ>というフレーズに、これを歌ってくれるバンドこそがロックバンドだと思わされた。こんなに有無を言わせなないほどかっこいい音を鳴らすロックバンドがこの時代に再始動してもなお、愚か者の側の味方でいるということに胸を打たれた。

そして、最新シングルの曲たちの後に演奏されたのは、初期のナンバーである『赤いサンデー』だったのだが、この復活ライブにおいて、初期のナンバーから『明日は来るのか』のみならず『赤いサンデー』も演奏されたことは、DOESの再始動にあたりとても意味のあることのように思えた。

なぜなら、インディーズ時代からの曲である『赤いサンデー』には、同時期の『ランプシュガー』や『シネテリエ』などにも見られる、「遅めのBPMで、隙間があって、緩いのにかっこいい」というDOESの根源的な魅力が詰まっているからだ。DOESの曲の中には、この「隙間」や「緩さ」を持ったものがたくさん存在するが、その原点のひとつはやはり『赤いサンデー』なのだということを今改めて感じた。そして、『赤いサンデー』を聴いていると、この「緩いかっこよさ」を成立させているのは、曲や演奏の根幹にある武術の型のようなものなのだと感じた。型があるから間合いが生まれ、隙間が美しく見える。音を詰め込まなくても、音と音の絶妙な隙間やそこから生まれる緩さが粋なものとして聴こえてくる。

だから、今回のライブで『赤いサンデー』を演奏したことは、型と間合いによって生じるかっこよさというDOESの根源的な魅力を、再びバンドが始まるタイミングで多くの人に見せるという意味で、とても重要なことだと思った。

実際、この日のライブで『赤いサンデー』が演奏されるのを見ていると、自分の中でDOESの過去と現在が繋がっていったし、自分にとってDOESがどういう存在なのかということが明確になっていった。
DOESは人の心を動かそうとして感動を工作するようなことはしないし、いたずらに感情的になったりもしない。型と間合いを保って、自分のいる場所を偽らない。いつだってできるだけ平熱であろうとするし、無駄に気張ったりせず肩の力を抜いた姿勢でいようとする。だからこそ、その型と間合いと平熱をどうしても超えてきてしまう何かが見えたときに、私たちはその輝きに心を奪われる。
この日の『赤いサンデー』の、サビに入る前の演奏部分からサビにかけては、まさにそれまで保っていた型と間合いから飛び出していく熱を一番感じた場面だったし、それと同時に今確かにDOESというバンドがひとつの生き物として生きているということを強く感じた瞬間だった。

そしてライブは白昼夢のような明るさにあふれた『赤いサンデー』から、夜に輝く星を歌う『S.O.S.O』、夜の重みを感じさせる『夜明け前』へと続き、どっしりとしたビートに飲み込まれたかと思えば、『修羅』では一気に勢いを増していく。
ここでも、サビで赤塚ヤスシが歌うコーラス <一(ひ)> <二(ふ)> <三(み)> <四(よ)> の <四(よ)> の部分が、氏原ワタルが歌う <飛ばしてくれ> <燃やしてくれ> の直後に来ることで <飛ばしてくれよ> <燃やしてくれよ> と聴こえるという、型の美しさが冴え渡る。
覚醒して勢いに乗る氏原ワタルは、<雲無しの午後には/僕の修羅が騒ぐ> を <コロナ禍の夜には/僕の修羅が騒ぐ>と変えて歌い、最後にはカメラに向かって煽った。
その勢いのままなだれ込んだ『曇天』では、赤塚ヤスシと森田ケーサクが向かい合って演奏する。バンドが完全に息を吹き返し、エネルギーに満ちたうねりを次々に生み出していく中で、氏原ワタルは笑っているように見えた。

そんな氏原ワタルの
「みんな見てくれてありがとう。いつかライブハウスで一緒になってぎゅうぎゅうになって汗だくになって馬鹿騒ぎしてえなあ。だからその時まで元気で生きていてください。死なないように生きていてください。強く生きていてください。じゃあ最後、いつか、いつか君と僕たちが笑顔で会えることを願って、バクチに踊れ!」
という言葉に続いて、この日のライブのラストとなる『バクチ・ダンサー』が始まった。

それにしても、この曲の <春風に磨かれて/燃えさかる薄ら紅> とは、なんと美しい日本語だろう。満開の桜のようにも、恋をする人のようにも、何かに情熱を傾ける人のようにも思える、生命の息吹を感じさせるこのフレーズは、今日新たに始まるDOESを象徴しているかのようだった。

『バクチ・ダンサー』の最後、三人は向き合って、三三七拍子のリズムでどんどん速度を上げながらユニゾンで音を鳴らし、その音がひとつの塊のようになって、曲が終わった。
そして、氏原ワタルが「ありがとよ」と言い、ギターを両手で天に掲げ、最後に拳をあげ、ライブは幕を閉じた。


『(R)evolution #0.5』
その1時間ほどの配信ライブで、DOESはDOESのDOESたる所以を存分に見せつけた。
DOESの根源的な魅力である、型と間合いから生まれる緩いかっこよさ、肩の力の抜けた平熱のスタンス、そしてその型や平熱からはみ出していく熱。これらが今もバンドの根幹にあることが、ガンガン伝わってくるライブだった。初期の曲にも、最新の曲にも、DOESにしか出せないロックバンドのかっこよさがあふれていたし、その初期と最新が、過去と現在が一本の線で繋がっていく様が見えたライブだった。
そして、三人から生まれる生命の息吹のような、生き物としてのバンドのうねりを目の当たりにして、この1年、靄がかかっていた「DOES復活」という言葉が、やっと自分にとって現実のものとなった。DOESが本当に帰ってきたのだ。

ロックバンドは最高で、日本語ロックは美しい。
DOESがいる限り、その最高と美しさは更新され続けるだろう。
そう思わせるような、華々しい復活ライブだった。

※ この文章は 2021年4月28日に「音楽文」に掲載された文章を加筆・修正したものです。